死にっぱぐれの舞踏会

 演劇には、「戯曲内のことば」と「舞台上のことば」という2種類のことばがあります。戯曲内のことばは劇作家が作るものであるのに対し、舞台上のことばは表現集団である劇団が作るものです。ですから、同じ作品を上演しても表現集団が違えば、舞台上のことばは違ってきます。私達はこれまで、戯曲に埋没したことばを人工的に再現するのではなく、私達が舞台の上で表現すべき、表現したいと願っている自分たちのことばを求めて活動してきました。強制された日常性からの脱却を、私達は自分のことばで表現したいと思います。

 ことばを発したとき、一番重要なことは、そのことばの響きです。そこから音のイメージが生まれ、さらに意味のイメージへと繋がっていきます。ことばの響きが違えば、音のイメージが違い、したがって意味のイメージも違ってきます。現代社会のまっただ中で自己喪失してしまった私達は、社会的に強制された様式(音の響き)から脱却し、自己の存在を証明する私達の様式を確立する必要があります。そこに、自分たちの存在意義(意味のイメージ)を現前化するためです。

五年経ったら

 演技についても、同様のことが言えます。日常的な「立つ」「座る」「歩く」と言った仕種を、どのように自分の肉体言語として舞台上に構築するかということが、私達にとって重要な課題です。日常の呪縛から解放された肉体によって、生きている喜びを全身で表現したいと願っています。ことばと肉体によるイメージの積み重ね、その偶発性にドラマトゥルギーがあると確信しているからです。

 スペインの作品を主に上演し続けるのは、カリカチュアライズされた日常が奇妙な幻想を伴って私達に迫ってくるからです。拒否された現実が、厳然と虚構として舞台上に出現するからです。私達は、この虚構を舞台に出現させることで、私達のイメージを観客のみなさまと共有したいと願っています。