神宮寺の『ヌマンシア』は造形的にも詩的にも完璧
クセックACTはセルバンテスの悲劇を大胆な表現主義で上演
10人の俳優の演技は非の打ちどころなし
日本の劇団はセルバンテスの作品から最高の叙情性を引き出す。
愛国心的な内容を取り除き、戦争における名誉を賛美する一方で、その有効性に疑問を呈する。 

 1人の男が日常生活に屈しながら生きていることを意識しながら、さまようだけで、その檻から抜け出ることができないということは、何と悲しいことだろうか。生活に疲れ切った肉体と表情を浮かべた灰色のサラリーマンに、突然、一陣の嵐が襲う。命令を聞くだけの携帯電話とは別の世界、別の次元へと彼を連れ去る。こうしてサラリーマンが驚くまま、死における名誉について、最初の会話がメタフォリックに始まる。


 神宮寺啓が見事に構築したこの導入部分から『ヌマンシア』がはじまる。これは日本大使が臨席のもと、ヨーロッパのアルマグロ国際古典演劇祭に日本の劇団クセックによる『ヌマンシア』の幕開けであった。

 『ヌマンシア』の騒乱は、ゴヤの黒い絵に画かれた乱痴気騒ぎのように、重い三角形のマントの造形にふさわしい。

 この3角形の人物たちは、21世紀の疲れ果てたサラリーマンとコロスになり、重々しい太い声となって観客の悲しい心に響いてくる。光りと影、寒さと煙が、容赦ないローマ軍と人間の尊厳を増していくヌマンシアとの戦争を進展させていく。

クセックACTのセンシビリティーには脱帽

 『ヌマンシア』はいろいろな方法で上演可能だろう。その中で、劇団クセックACTはいままでのほとんどの舞台でみられた愛国心という解釈から離れ、セルバンテスの原作が持つエッセンスを保持しながら、この作品が持つ叙情性を選びとった。そして、自分自身と戦わなければならない人々の狂気を強調しながら、表現力豊かな舞台に仕上げた。

 素晴らしい役者たちによる強烈な肉体表現とスペクタクルな舞台は、原作の価値を損ねるものではなかった。クセックACTは舞台の上に詩と動き、つまり原作が持つイメージとリズムとを的確に連動させた。

 日本語を理解するのはスペイン人にとって慣れていないが、この舞台の魅惑にはまるには何ら障害はない。神宮寺の『ヌマンシア』は多数の忘れがたい場面を網膜に焼き付けた。実に濃い芝居だった。クセックACTに脱帽。(カルメン・オブレゴン記者)