プロフェソール・ヨイチがスペインでクセックを愛する話
スペインからは26日に帰ってきた。27日から授業。28日、29日と授業をし、今日30日は土曜日だが、大学院の入試。ようやく明日日曜日に休養が取れそうだ。
やれやれ。
15日に日本を出発。17日はバルセロナ、20日、21日はマドリード。23日、24日がアルカラ・デ・エナレスというように、3都市で5公演の巡業。
この歳になるときついな、そろそろ潮時かなと、実感した旅だったな。
マドリードではアバディーア劇場という劇場で上演したのだが、キャパが260人といえども、ピーター・ブルックやヌリア・エスペルトの作品がかかる劇場。いわばマドリードの知的演劇人が集う格式ある劇場なのだが、彼らが踏みしめた同じ舞台の上に立てたことにまず感激。
そして、スペインの演劇シーズンは9月中旬から6月末ぐらいまでなのだが、その演劇シーズンの蓋開け演目に、われわれの芝居が選ばれたことに、さらに感激。
18日、記者会見があるというので、劇団員はバスで移動だが、僕は飛行機でマドリードへ。会場に入ると長いテーブルが用意され、僕の名札ものっている。つまり、今年アバディーア劇場で上演する作品の演出家やプロデューサーがずらっと並ぶんだ。劇場総支配人の司会のもと、まずは僕から口火を切ることになった。
記者会見が済むと、劇場が用意したレセプション。ビールやワイン、軽いおつまみが並んでいる。早速ラジオ局から直接インタビューを受けた。
19日は7時からプレス用の写真を撮影する日だといわれ、6時50分頃に劇場のドアを開けると、まさに黒山の人だかり。マドリードの報道関係者が全社揃った訳だ。
テレビ、ラジオ、新聞、通信社(全国配信され、確かに翌日、コルドバの新聞に出てた。ブランコ先生はオルメドのラジオで聴いたそうだ)。
3場ほど違った場面を撮影したいという注文に、急遽、演出家と相談し、どの場面を演じるのかをスペイン人に説明し、7時から撮影開始。20分ほどかけて3場面を見せた。
これで終わったかと思うと、今度はテレビ3局から順番にインタビュー。日本のNHKにあたるスペイン国営テレビでは、「マンドラゴラ」という番組で取り上げるとか。
この番組は演劇専門の1時間番組。「日曜美術館」の演劇版だな。
20日が初日。カーテンコールに3度も役者たちは呼び出された。その後は日本大使館主催のカクテルパーティー。もちろん、大使も出席してくださり、乾杯の音頭をとってくださった。
その席にアルマグロ国際古典演劇祭の委員長も顔を出していた。
「おい、ヨイチ、来年は何を持ってくる?」
「来年って?」
「アルマグロの人はクセックを楽しみに待ってるんだ。だから、何を持ってくる?」
「ガルシア・ロルカは現代物だからダメだよね。古典物でできるのは『ラ・セレスティーナ』。それに、いま『ヌマンシア』をやりたいなと思っているんだけど」
「よし、それ、『ヌマンシア』がいい」
「いいと言われても、まだ、翻訳もできていないし、台本もできていないのだけど」
「アルマグロ古典演劇祭では、必ずセルバンテスの作品を1本は上演したいと思っているから、それにしよう」
「国際交流基金に補助金を申請するには、12月までに招待状が来ないとダメなんだけど」
「分かった。送る」
と、ザッとこんなやりとりで、まだできてもいない作品を上演する契約となった。
このマドリードでいちばん感激したことは、何と言ってもガルシア・ロルカの一番下の妹イサベルさんが見に来てくれたこと。1909年生まれだから、97歳。マドリードの公演は2晩だったが、2晩とも見に来て、「兄がしたかった芝居は、きっとこんな芝居だったのよ」と言ってくれました。
また、上の方の妹コンチャさんの息子マヌエルさんも見に来てくださり、「僕の作った『ドン・ペルリンプリンの恋』は、若い娘が老人と結婚しなければいけない理由をバリェ=インクランの『リガソン』から見つけだし、くっつけて作りました」と説明すると、「そうだね。『ドン・ペルリンプリンの恋』はいい作品なのだけど、唯一の欠点は短いということ。他の人も必ず、ガルシア・ロルカの詩の中から何編かを探し出して作品を膨らますのだが、バリェ=インクランの『リガソン』か。実に面白い着想だ」と言ってくれました。
26日に帰国し、メールを開くとマヌエルさんから「いい芝居だった。今日はバリェ=インクランの孫と食事をすることにした」と言ってきてくれた。ガルシア・ロルカ
の家族の方々が喜んでくれたのだから、きっと成功したのだと思う。ありがたい、ありがたい。
ラジオ番組に2時間生出演した話しなどまだまだあるが、まずはこれにて初日は終わり。
田尻陽一
