『ヌマンシア』スペイン公演の記録 ~田尻陽一~
劇団員は6月29日に日本を出発し、30日には自分たちが上演するヌマンシアの廃墟を見てみたいという。ボクは6月30日に大学院の試験があるので、日本出発はどうしても7月1日になる。いずれにしても、舞台の仕込みが7月1日から始まるので、劇団員だけ先発してもらうことにした。そこで、スペインにいるボクの教え子たちを総動員し、ボクがいなくても舞台の仕込みができるように、つまり、字幕、照明、音響、舞台美術、4箇所にそれぞれ1人ずつの通訳を付け、さらに雑用係りが2人、計6人をスペイン各地から呼び寄せた。
7月1日にマドリードに着くと、バルセロナ自治大に留学している4回生の学生が2人、ホテルのロビーでボクを迎えてくれた。彼らを雑用係としてアルマグロに連れていくため、バルセロナからマドリードに呼んだのだ。1人はゼミ生、もう1人は2年生で教えた学生。2人とも、去年、『ドン・ペルリンプリンの恋』をバルセロナ公演でも手伝ってくれた。ともあれ、その夜は久し振りの再会を祝して乾杯。もっともボクには機内食から5度目の食事だから、ビールが主だったが。
翌2日、今日は初日だ。劇団員たちは朝から舞台を仕込んでいるはずだ。しかし、ボクたち3人はまずAVEでシウダ・レアル まで行き、そこからアルマグロまでタクシーで30分。劇場に着くと、劇団は場当たりをしていた。しかし、12時から記者会見。演出家の神宮寺啓さん、役者の榊原忠美さん、火田詮子さんの4人で記者会見場に。行ってみると、われわれクセックだけの単独会見。これは破格の扱いだね。テレビが5社、新聞は7社か8社来ていたかな。フェスティバルの委員長エルナンデス氏がにこやかに司会をしてくれた。記者から次々質問が来た。この記者会見が翌日の新聞をにぎわした。記事の(2)(3)(4)だ。(1)はメールで送っておいたわれわれのデーターをもとに記事にまとめたモノだ。
記者会見のあとは、劇団員は劇場に戻り、昼食の3時ギリギリまで稽古。ボクはフェスティバルの事務局に行って最終打ち合わせ。特に出演料の支払い方法について協議する。フェスティバル側は日本の銀行に送金するという。
「いままでの支払方法と違うじゃないか」
「今年から変わったんだ」
「イヤ、それは困る。マドリードのホテルの支払いをしなければいけない。その他諸々ユーロで支払わなければいけない。何としても現金で欲しい。それに日本の銀行に送金してもらうと、送金手数料と両替手数料で3割ぐらいすっ飛んでしまう。何とかしてくれ」
と頼み込み、「小切手で支払う」ということで落ちついた。ところが、これがまた一騒動を起こすのだが、それは、また、後で。
それでも、昼食の後は昼寝ができた。6時から舞台の最終仕上げ。先ほどもいったが、字幕、照明、音響、舞台美術にそれぞれ教え子たちが通訳として付いてくれたので、ボクの出番はない。バルセロナ自治大の2人はまったくの雑用係。ボケッと客席に坐っているので、
「どうした?」
と聞くと、
「何もすることがない」
という返事。
「当たり前だろ。こんなところに坐っていて誰が君たちに指示が出せる?指示はどこから出るか。楽屋だろ?楽屋に行け!」
一事が万事、若い子はこうだ。それから彼らはよく働いてくれた。夕食をホテルまで取りに行ったり、新聞を買いに行ったり、切り抜いたり、舞台で必要な小さな物を買いに出たり、掃除をしたり、よくやってくれた。
フェスティバルの事務局から電話がかかってきて,いま日本の大使が来られたので事務局で接待をしている。しかし、7時からコラール・デ・コメディア劇場を見たいと言っておられるが、事務局の人間を廻すことができない。
「ヨイチ、お願い。助けて!大使のアテンドして!一生のお願い!」
「でも、7時半からプレス関係が劇場に来て舞台写真を撮りたいと言っている。7時45分からならアテンドできる」
「恩に着る。ありがとう」
というわけで、7時半からテレビ局、新聞社の人たちを劇場に入れ、ゲネプロ(通しリハーサル)を撮影してもらった。大使とは7時45分に広場で会って、9時ぐらいまでアテンド。それから劇場に戻り、初日の幕開け準備。切符は完売だ。日本大使の来場にアルマグロ市長が出迎えてくれた。
10時45分に開演。12時15分、終演。すごい拍手。何度も何度も役者たちは舞台に呼び戻され、舞台挨拶。その劇評が(5)(6)(7)(8)の記事だ。
それと、芝居が終わった途端ムルシア州の「アルメリーア黄金世紀演劇フェスティバル」から3月6日7日に来てくれとオファーがあった。さらに、カナリア諸島のパルマから
「ぜひともクセックACTをカナリアに持っていきたい。日本大使館、領事館に働きかけてみる」
といってきた。もちろんアルマグロも、
「ヨイチ、すごいわ。来年もアルマグロよ。見て、このお客さんの感激。わたしも感激」
と事務局のスタッフから次々とbesitos(ほっぺたにキッス)の嵐だった。
大成功の初演が終わってマヨール広場に行き、まずは乾杯。これだけうまく行ったので、明日は昼食の2時半まで休息、楽屋入りは6時、ということになった。ボクはホテルに帰ったが、若い連中は劇場の裏方スタッフと一緒にクラブに行って、朝方まで飲んだとか。若いって、すごいね。
3日は午前中、ベッドでゴロゴロしているわけには行かない。新聞を買ってきて貰って、翻訳に取りかかる。また、僕が行くまで立て替えてもらっていた細々とした支払いなどの雑務をこなし、6時に劇場に行き、記事の訳をパソコン入力。フェスティバルの事務局から出演料の小切手を受け取った。カスティーリャ・ラ・マンチャ信用金庫の小切手だ。こんな銀行、マドリードで見つかるのかな。何としても明日の朝一番にアルマグロ支店へ行って換金しないとダメだ。バスのホテル出発を10時にしてもらった。
3日の夜10時半に劇場の入り口に立ってお客さんを迎えていたら、
「今日、テレビのニュースであんたの顔を見たわよ。で、芝居を見に来たの」
と言ってくれたオバチャンたちがいた。やはりマスコミには小まめに対応すべきだね。ホンの一言のコメントで5人のお客さんをゲットしたのだから。3日は15席ほど空いていたかな。それでも拍手の熱さは変わらない。芝居が跳ねてから、舞台のバラシ。アルメリーアで公演するという前提で、持って帰るモノ、アルメリーアに送るモノ、捨てるモノに分けながら片づける。終わったのが2時。それからまたマヨール広場に行って乾杯。明日は朝が早いからとみんなホテルに戻った。
4日、朝一番に銀行に行った。5人ほど前に並んでいた。やっと順番が来て小切手を見せると、
「あら、イヤだわ。こんな大金、前の日に言ってくれないと準備できないわ。それに、小切手のサインが1つしかない。2つのサインが必要なのよ」
と言われた。換金できない。さて、困った。まずは事務局へ。しかしまだ誰も来ていない。ますます困った。バスの出発時間が迫っている。とりあえずホテルに戻り、
「先に出発するように。ボクはタクシーでシウダ・レアル まで行って、後はAVEでマドリードに帰るから」
と伝えようと思った。
急いでホテルまで帰っている途中、向こうから昨日、小切手を持ってきてくれた財務担当の男の子が自転車に乗ってやって来た。
「おーい、ヨイチ。探していたよ。小切手にサインが足らないんだって?そのサインをする人、いま、マドリードだから、小切手で払わず、現金で払う」
と言ってくれた。銀行が親切にフェスティバルの財務に電話してくれたんだね。しかも財務の事務所はわれわれのホテルのすぐそばだった。
「現金だ。確かめてくれ」
これ、すごいよ。よれよれになった50ユーロ札、20ユーロ札、10ユーロ札の山。これで出演料をかき集めてくれたんだ。おかげで通訳料、ホテルの宿泊など、スペインでかかった経費をすべて支払うことができる。彼らの対応に、涙が出るほど感謝した。3cmほどの厚みのある封筒を鞄に入れ、バスに乗り込んだ。
と、ここで日本から携帯に電話。日本のエージェントからだ。翌日の7月5日、劇団員16人のうち8人が日本に帰ることになっていたのだが、予約していたフライトがキャンセルになったという。飛行機が飛ばないというなら仕方がない。しかし次の説明にがっくり。予定していたマドリード発9:55の次の便に乗ると、フランクフルトで乗り継ぎができない。したがって9:55発のひとつ前、つまり、6:20の便に乗らないとダメだという。それだと、3時に起床し、4時には空港に行かないとダメだ。翌日帰国する8人の了解は得たものの、最後になって、酷な話しになってしまった。彼ら8人もそうだが、ボクも同じように起きて彼らを空港まで送っていかないといけない。
何かがどっと襲ってきて、サアーと引いていった感じ。思わずバスの中でウトウトしてしまった。マドリードに着いて全員で昼食。各テーブルに通訳が付き、注文を取る。会計を済ませる。実にスムーズなシステムが完成している。昼食後はゆっくり昼寝をすることができた。
夜は9時から大使が役者たちと一緒に夕食に招待してくれた。カサ・ルシオというレストランだが、マドリードの下町料理の店とはいえ、値段は高級レストラン並。こちらが大使にお礼をいいたいところだが、大使の方からねぎらっていただいた。こういった文化交流に熱心な方のようだ。
ホテルに帰ったのが夜の1時。フロントでタクシーを予約し、3時のモーニングコールを頼み、ウトウトとしたら、モーニングコール。おかげで無事、4時には空港に着いた。スパンエアーの発着ターミナルに行くと、ルフトハンザの便だから、チェエクインは別のターミナルだという。歩く歩道を通って別のターミナルへ移動。無事チェックインを済ませ、8人を見送った。やれやれ、これでボクの仕事は半分済んだ。ホテルに帰ってくると6時。10時まで寝た。その間にバルセロナ自治大に留学している学生たちはバルセロナに帰ったようだ。
7月5日、スペインのエージェントに行ってバス代や宿泊代を払う。これで出演料の半分近くが消えていった。夜は通訳として働いてくれたサラマンカ大学とレオン大学に留学している院生を連れて『花咲く鉛筆』という芝居を見に行く。フランコ時代の小学校教育を皮肉った愉快な芝居だった。
6日は本屋に行ったり、お土産を買ったり。そして夜は、去年の12月に見たスペインのロックミュージカルがもう一度見たくって出かけて行った。開演は22:30。終演は01:00。ホテルに帰り、荷物を整理し、朝7時に起きて空港に行き、9:55分の飛行機に乗り、順調に乗り継ぎ、7月8日の朝8時に無事帰国した。
月曜から授業。午後からはイスパニヤ学会の紀要『イスパニカ』の編集作業。火曜は授業がないので、まず鍼灸院。それと新聞記事の翻訳にとりかかった。水曜は・・・・という具合に、アッという間に1週間が過ぎた。ようやく新聞記事の翻訳が終わったのは、15日の日曜日。台風が来たが、これだけの仕事があったんだ、他の仕事を入れなくってよかったと思った。翌日、スペイン公演の収支計算をしていると、グラッとゆれた。ああ、これだけ災害の多い国が美しい国なんだ。参院選でグラッと来れば、もっと美しい国になるかな。そんな思いがした。

