日本の劇団クセックACTは『ヌマンシア』を再評価し、アルマグロで上演
日本の劇団が、現代的なテーマを持ちながら上演回数が少ない作品の1つ『ヌマンシア』を西洋で上演する場にアルマグロを選ぶ
10人の俳優が「愛する人のために死ぬ」ことを巡って、過酷な物語に息吹を吹き込む
アルマグロ国際古典演劇祭が掲げる目標の1つ「セルバンテスの舞台」というプログラムとして、日本の劇団クセックACTが『ヌマンシア』を上演する。
アルマグロで日本の劇団クセックACTは再びセルバンテスの作品を上演する
劇団クセックACTのアルマグロ公演は3度目
10人の役者が50人の登場人物を演じる
2002年、カルデロン・デ・ラ・バルカの『人生は夢』によって観客を魅了した劇団クセックACTは、その後アルマグロで公演することが必然のようになった。事実、2005年には『ドン・キホーテ』を上演し、2年後の今年2007年には,同じくセルバンテス作『ヌマンシア』を持ってきた。昨夜がアルマグロ市立劇場の初日だった。
第30回アルマグロ古典演劇祭
ヨーロッパ、アジア、アフリカ、アメリカから劇団が参加
今回のアルマグロにおける4大劇団
アルマグロ国際古典演劇祭は世界中から劇団が参加することで有名であるが、今回の演劇祭は過去にもまして国際化し、その中でもブラジル、中国、日本、コンゴから参加する劇団が見どころである。
28日、アルゼンチンの女優・演出家ノーマ・アレアンドロ(Noma Aleandro)に第7回アルマグロ賞を授与することから開幕した。
劇団員は6月29日に日本を出発し、30日には自分たちが上演するヌマンシアの廃墟を見てみたいという。ボクは6月30日に大学院の試験があるので、日本出発はどうしても7月1日になる。いずれにしても、舞台の仕込みが7月1日から始まるので、劇団員だけ先発してもらうことにした。そこで、スペインにいるボクの教え子たちを総動員し、ボクがいなくても舞台の仕込みができるように、つまり、字幕、照明、音響、舞台美術、4箇所にそれぞれ1人ずつの通訳を付け、さらに雑用係りが2人、計6人をスペイン各地から呼び寄せた。
7月1日にマドリードに着くと、バルセロナ自治大に留学している4回生の学生が2人、ホテルのロビーでボクを迎えてくれた。彼らを雑用係としてアルマグロに連れていくため、バルセロナからマドリードに呼んだのだ。1人はゼミ生、もう1人は2年生で教えた学生。2人とも、去年、『ドン・ペルリンプリンの恋』をバルセロナ公演でも手伝ってくれた。ともあれ、その夜は久し振りの再会を祝して乾杯。もっともボクには機内食から5度目の食事だから、ビールが主だったが。
劇団クセックACT2007 「ヌマンシア」は、名古屋、福井、大阪、そしてスペインと全公演を終了いたしました。
稽古期間を含めると約半年間関わってきたヌマンシア。その最後の舞台となったスペイン公演の模様をお伝えします。
一番いいのは写真だと思うのですが…
毎回スペイン公演に忘れ物をする私。初回ジャージ、二回目台本、前回デジカメの充電器……前回電池を消費しないように苦労して写真を撮った反省を活かして、前日にしっかり準備。目につきやすいところにおいたにも関わらず……
充電器に電池をはめたまま、まるごと忘れました!
他の人から写真をもらって、そのうちアップします...orz
日本に帰ってきてから、アルマグロ古典演劇祭からメールが来た。
「来年度は『ヌマンシア』でOKだね?」
で、ぼくは、確約できないので、正直に 「まだ、台本ができるかどうか、自信がない。何しろ『ヌマンシア』の登場人物は30人近い。クセックの劇団員は10人。どうしたらいいか悶えている。もしできなかったら、『セレスティーナ』を持っていってもいいのだが」...
スペインからは26日に帰ってきた。27日から授業。28日、29日と授業をし、今日30日は土曜日だが、大学院の入試。ようやく明日日曜日に休養が取れそうだ。
やれやれ。
15日に日本を出発。17日はバルセロナ、20日、21日はマドリード。23日、24日がアルカラ・デ・エナレスというように、3都市で5公演の巡業。
この歳になるときついな、そろそろ潮時かなと、実感した旅だったな。
クセックはCasa Asia主催の演劇祭に招待され、今年もスペインにいってきました。
バルセロナ・マドリード・アルカラの3都市で5公演を行い多くの方にクセックの舞台をご覧いただくことができました。
ここでは写真を中心に、スペインでのクセックの様子をご報告していきます。
Casa Asiaとはバルセロナに拠点をおき、スペインとアジア太平洋諸国の文化的・経済的な絆を強化することを目的とした様々な活動をしている団体です。
公演を行ったアルマグロ市民劇場の写真です。
アルマグロ市内にいくつもの劇場があり、この市民劇場(Teatro Municipal)も町並みにとけ込んでいました。


