劇的な声によるドン・キホーテ


劇的なクセックACT、独自の脚本による驚きの舞台、再びアルマグロに


圧倒的な声量と顔の表情、独特の身体表現、それに豊かな創造性に満ちた舞台、これが劇団クセックACT特有のものだが、今回はスペインの古典に基づいた作品をアルマグロ国際古典演劇祭の舞台にのせた。

しかしそれは、舞台装置と集団演技、さらに西洋にはない発声、その声の響き、それに日本的な歌舞伎のメーキャップによる、さらに驚くべき舞台であった。

名古屋で初演された『ドン・キホーテ……その狂気について』の演出家・神宮寺啓は、人間存在の孤独を引き出すために登場人物たちの生命力を強調したと言っている。そこで原作の精神を膨大な原作から引き出し、冒険とは何か、人生とは何か、演劇とは何か、狂気とは何かを導き出している。

この存在論的な問題が、『ドン・キホーテ』の良く知られたシーンを舞台化することで爆笑を誘い、舞台装置と音楽によって現代的なイメージを醸し出した。

3年前にカルデロン・デ・ラ・バルカの『人生は夢』で大成功を収めた劇団クセックACTは、今回、田尻陽一が原作『ドン・キホーテ』に書かれている会話をもとに脚色した脚本によって、2晩にわたって市立劇場で公演したが、その舞台成果は期待を裏切らなかった。

今回の脚本は、セルバンテスが豊富な実体験から作り上げた狂気について、新しい解釈を示したものと言える。演出の神宮寺啓は「セルバンテスは、自分が住んでいる社会と現実を一人のフィクション上の人物によって、変革し破壊したいと願っていた。」という。続けて「セルバンテスは自分が願っていた名誉(金ではない)を得ることはなかった。この不満が傑作を生み出したのだ。」という。

実際、クセックACTの舞台では、登場人物たちは全員、肉体のエネルギーと語りの表現によって次第に「ドン・キホーテ化」していくが、主人公は最後に「狂気によって社会から隔離された者として孤立する」というところで終幕を迎えている。

役者たちは白と黒という2色の衣装を着ているが、狂気と正気という二面性を狙う構想の中で実に意味を持っている。また役者たちは2人のドン・キホーテ(2人は人生を思索し、同一平面上もしくは補完的な位置づけで行動する)を前に、劇的に効果満点のコロスの演技を繰り広げる。そして縦糸を紡ぐサンチョと語り手になった2人の女優の演技力も相当なものである。

最初、劇団の全員が、一冊の本によって誑かされるシーンから始まる。その本が『ドン・キホーテ・デ・ラマンチャ』である。彼らは足までの黒いオーバーを着て、同じ色の帽子をかぶっているのだが、長い机の周りに集まり、食事をともにする。次に、全員がドン・キホーテとサンチョが語る冒険につれて演技をする。助けを求める1人の女性によって主人公にされた騎士をからかい始める。


舞台上のダイナミックな動きによって、いま、どのように前編に書かれた人物が登場したのか、字幕を読まなくても分かる。たとえば、どのように司祭と床屋がドン・キホーテを生まれ故郷に連れて帰ろうとしているのか。また、マンブリーノの兜か床屋の金ダライか、飾り馬具かロバの鞍か議論したあげく、どのようにドン・キホーテが檻に押し込められるのかも、よく分かる。もっとも、クセックの舞台では、檻ではなく網に絡め取られ、宙づりにされるのだが。

ミコミコーナ姫や魔法のシーンが登場する。女性たちのグループが、椅子を使って世間に知れ渡ったドン・キホーテの名声について華麗に演じる。

主人公の狂気の元、ドゥルシネア姫は脚本の中に脈々と流れている。例えば、サンチョが百姓女を美しい貴婦人と侍女に仕立ててドン・キホーテを混乱させる場面は、予測もつかなかった手法を使って、この舞台における最高の見せ場を作った。つまり3人の女性が空中からぶら下げられた3台の自転車に乗るのだ。しかも、この自転車は最初から舞台の上に見えていた。

シーソーに乗って上下しながら人生について思索する2人のドン・キホーテの場面では、セルバンテスがドン・キホーテを書いた本当の意図は何なのか、考えさせる扉を開いてくれた。

最後に、日本語による『ドン・キホーテ』第1章の朗読が優れていたことを、取り上げておこう。これはラ・マンチャがドン・キホーテの故郷であり、この故郷が4世紀も前から世界的な故郷であったことを示している。

#セルバンテス #劇評 #スペイン公演 #ドンキホーテ

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