『観客』砂の下の日本語
日本の劇団クセックACTがバリェ=インクラン劇場で
ガルシア・ロルカの作品を上演
フアン・イグナシオ・ガルアシ・ガルソン記者

劇評

・ロルカの最高傑作『観客』

・ルイス・パスクァル1とガルシア・ロルカ:ある愛の物語

・イレネ・エスコラル2「私はロルカに恋をしている」

40年以上にわたって日本の劇団クセックACTはアラバール、セルバンテス、ロペ・デ・ベガ、バリェ=インクラン、カルデロンなどのスペイン演劇を上演し続けてきた。すべてが田尻陽一の翻訳だが、ガルシア・ロルカが1920年から30年にかけて書いた『観客』は劇団にとって7番目の作品である。素晴らしい役者たちは、うごめくテキストがもっているホモエロティックな欲動、激しく渦巻く謎、シュールな激流を、能のコードにのせ、舞台上に表現した。

最近、ホセ・ルイス・ゴメス3をインタビューしたのだが、彼は様々な舞台人がそれぞれの経験を語っている声の重要性について語ってくれた。先人たちが残してくれた声こそ、時代を通して、世界共通の演劇論となるのだ。世阿弥の『風姿花伝』、スタニスラフスキーの演劇理論、『愉快な旅路』でアグスティン・デ・ロハスが書き留めてくれた役者たちの言葉、ルイジ・リッコボーニ4が残したテキスト、フランス国立高等演劇学校でのルイ・ジュヴェ5の手紙など、彼は次々と名前を挙げていった。能の父ともいえる世阿弥(1363~1443)は自分の能役者としての修業に関する精神論に満ちた演劇論、さらに日本の舞台様式にそった能作者を養成することに特化した演劇論を表した。彼が残した根拠はあらゆる舞台表現者にとって有効であり、本質を突いている。

1 LluisPascual(1951~)、1987年『観客』を初演した。

2 Irene Escolar(1988~)、スペインの女優。AlexRigolaの演出で2015-16-17と『観客』のジュリエット役で出演。たぶん、「白い馬」も担当していると思う。

3 José Luis Gómez(1940~)、かつて我々が『ドン・ペルリンプリンの恋』を上演したアバディーア劇場の芸術監督。名優でもある。

4 Luigi Riccoboni(1676~1753),パリで活躍したイタリアの役者、座長。

5 LouisJouvet(1887~1951)、フランスの演出家、俳優。

6 グロトフスキの弟子エウゲニオ・バルバがデンマークに作った実験劇場。

7 Tadeusz Kantor(1915~1990)、ポーランドの演出家

今回の劇団クセックACTによる『観客』は世阿弥の息遣い、つまり能の身体表現による音楽が聞こえてくる、燦然と輝く見事な舞台成果であった。と同時に、舞台にはトランスカルチャーとしての先人たちの思いが沸騰していた。うごめいていたのは、ブレヒトとグロトフスキの共鳴と振動、ベケットのメタフィジカルな混迷、オーディン劇場6の表現に富む風景(?)、コンメディア・デラルテの息遣いとパントマイムの古い言語、タデウス・カント―ル7、アルトーの底なしの狂気……。

『観客』が持つミステリアスなキーに到達するために舞台上にばらまかれた演劇的な知識を要約し、テキストをかなり削った田尻は、いつもは第3場の後に置かれる不可思議な「道化の牧童」で最後を締めくくり、登場人物たちの仮面ごっこを強調していた。

静止と沈黙という衝撃的な場面で幕が開く。役者さんたちの顔は仮面となり、激高し前代未聞の叫びをあげる。彼らは観客なのだ。無数の目と口を持つ複数からなるその実体は、集団の肉体となり、砂の下にある本当の劇場を探し求めて演出家を訪問する。神宮寺啓の演出はテキストが抱え込む秘密を細やかな情熱を込めて追跡していく。ガルシア・ロルカが砂の下に埋めた、複雑で眠気を催す作品の言葉を、取り憑かれたように、堀り起こしていく。配置される人の動きと、基礎がしっかりした表現力による演技は美しく力強かった。彼らの全く違った演劇性から、この作品の的を射抜いていた。

『観客』★★★★

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