フェデリコ・ガルシア・ロルカの『観客』は、1977 年、ムルシアでアントニオ・モラレス2 の演出によって初演された。ガルシア・ロルカの友人で原稿を持っていたラファエル・マルティネス・ナダルが公開した翌年である3 。もっともこのことを知らない人たちは、1987 年、ルイス・パスクアル Lluis Pascual が国立ドラマセンター(CDN)の芸術監督に就任したとき、彼の手によってこの作品が初演されたと思っている。 確かに前者と後者とは上演の質と影響力は違うかもしれないが、演劇史の視点からみれば、これが事実であり、アントニオ・モラレスと交わした手紙でラファエル・マルティネス・ナダル自身が認めていることでもある。

最初の部分は 2006 年に見た『ヌマンシア』の劇評を書いたときと同じことになるかもしれない。

ガルシア・ロルカの作品を知っているものなら誰しも、我々の中に我々の舞台を持っていると思う。我々の『ベルナルダ・アルバの家』、我々の『血の婚礼』、もちろん、我々の『観客』。このことに効き目があるのは、我々が座席に座ったとき、ある者は演出家として、ある者は脚本家として、すでにこの作家の劇世界に入り込んでいるからだ。しかし、幕が開いたとき(この場合は幕があるとして)、すべてが始まる。日本人も何人かいたようだが、我々にとって外国語が聞こえてくる。我々とは全く違う文化、演劇思考も技法も全く違う。何となく趣が違う、異国を感じる。一方、観客としてすべて理解したいと思う。と、日本語で言っている役者のセリフが同時にカスティーリャ語で表示される。これは観劇の妨げになる。要らないものだ。最初の 5 分間で私はテキストなどどうでもよかった。10 分後にはガルシア・ロルカをすっかり忘れてしまっていた。反対に役者たちの太い声で醸し出される説得力ある空間、身体演技と役作りの造形美に縛られ、得も言われぬ 、と同時に心地よい世界に引きずり込まれ、2  時間近い時間があっという間に通り過ぎていった。榊原と火田が演じる登場人物は芝居の中ではどうってこともないように思えたが、奇妙なことに、舞台を思い出しながらこの原稿を書いているいま、場面ごとに実に重要な意味を持っていることに気づいた。理由は分からないのだが、特に第 2 場ではそうだった。

何が言いたいのか分からないことを書きながら、芸術作品から受ける感動と心地よい味

わいを受けたことだけは書いておきたい。これがガルシア・ロルカの『観客』? 問題はそこにある。本に書かれた言葉ではなく、舞台から生まれたもの、つまり、観客の心の中にあるのだ。

フルヘンシオ・M .・ラックス

 

 

1 ムルシアの劇作家

2 ムルシア高等演劇学校の教授。2017 年、Azahar 名誉賞受賞。1981 年亡くなっている。

3   Rafael Martínez Nadal(1902 ~ 2001)、1966 年、The Dauphin Book 社( Oxforf)から『観客』を出版した。

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